患者事例1ー休職後退職事例

 

佐藤まゆ子(41歳女性)
自宅療養7年目、PS値:8


2007年はしかに罹患。40度超の発熱で入院。その後不調が続く。2009年燃え尽き症候群診断で休職。2011年慢性疲労症候群診断がついた後、退職。その後復職できずに現在に至る。自宅内は徒歩移動だが、月数回の外出は電動車椅子必須。 




 

今日は、私自身の発症の経緯と、(休職が決まるまで)仕事をしていた時期、どういう体調で、どう対応していたのか、そして(退職した)その後の症状、生活状態について簡単にお話ししたい。

 

発症の経緯(職場での状況)

まず、私自身が発症した時の状況をお話しする。私の慢性疲労症候群(CFS)発症のきっかけは、「後からわかったこと」だが、2007年にはしかにかかって40°Cの高熱が続き、5日間入院したことがあった、そのことと考えられる。それは、会社を退職する直前、2011年大阪市立大学病院でCFS確定診断を受けた時に判明した。

(はしか罹患時に)退院時には、医師には「解熱したら出社していい」と言われた。が、解熱後も、どうしても部屋の中で布団から
うまく立ち上がれない、(夜中に)トイレに立ち上がろうとすると、柔道の受け身の様にパーンともんどり打って転がってしまうという症状がずっと続いた。微熱と風邪様症状も引かず、結局12日間仕事を休んだ

12日後、なんとか無理して出社したが、そこから段々に(CFSの)症状が出てきた感じだった。 


 初めは「はしかの後で体力消耗したかな」「なんか調子が悪いな」程度に思った。が、趣味のジョギングをしようとしても(※2006/2007年フルマラソン42.195kmを完走)思うように足を運べない


通勤時には血の気が下がり、立っていられない。週に数度は、最寄り駅から会社まで電車で15分程度の間立ち続けることができずに、途中下車してホームの椅子で休むようになった。

 

当時は社会人向けビジネススクールの運営・営業の担当で、毎週末講座・イベントがあり、メールマガジンの発行や、イベント準備などを行っていた。が、簡単なメールを打つというようなことも、段々だんだん困難なっていき、ものすごく時間がかかるようになって、しまいには簡単な計算もできなくなった
 


■当時、一緒に働いていた方から見た、慢性疲労症候群患者(未診断)の見え方

 

本日、司会をお願いしたサカタカツミさんは、発症当時、外部プロデューサーとして週1,2回ほど仕事で ご一緒していた。そのサカタさんに、当時の「外から見た患者の様子」をお話しいただく。 


サカタカツミさん:クリエイティブディレクター。
長年、就職や転職、キャリアに関するサービスのプロデュース等に携わる。リクルートワークス研究所『「2025年の働く」予測』プロジェクトメンバー。著書に『こんなことは誰でも知っている! 会社のオキテ』、『就職のオキテ』がある。

今回の患者登壇者の佐藤が、2009年休職時まで勤務した人材系企業のスクール事業に外部プロデューサーとして携わっていて、佐藤とは週に1、2度は、会議、イベント等で顔をあわせていた。「週数回程度、職場で顔を合わせていた」立場から「職場で、発症前後の慢性疲労症候群患者(診断前)が、周囲にどう見えていたか」を、当時を振り返り語っていただいた。



 

(サカタ氏) まゆ子さんは、見て分かる通り元気はつらつとした人。仕事したがりで、一生懸命頑張ってくれるし、仕事は早いし、こちらとしては頼りになる戦力でした。

何人かいるプロジェクトメンバーの中の一人で、僕がプロデューサーとして率いていて、みなさんにああしてください、こうしてくださいというような(関係でした)。

 

当時(携わっていたプロジェクト)は、正直にいうと、右肩下がりで潰れかけていたプロジェクトだったので(笑)、なんとか立て直さないといけない、「このメンバーが頑張らないといけない、すごく頑張ってください」という話をしている状況で、みんな「頑張ります!」と言っていたのですが。

 

途中から、まゆ子さんのパフォーマンスが落ち始めたんです。「あれ?なんでこの人、 パフォーマンス落ちてきているんだろう?疲れているのかな?」と。

そこで本人に「なんで、ここまでできていないんですか?」と尋ねる。すると、「すみません、できませんでした」「来週までにやってきます」「その次までに、やってきます」とは答える。

でも自分が知りうるまゆ子さんの最大の力を100とすると、20-30位しか出ていない

おかしい、おかしいと思って周りの人に聞いてみると、「なんか体調悪そうなんですよね」「たまに休まれてますし...」という。(プロデューサーの立場からすると)「ここ正念場なんだけどな」と。
 

 

(サカタ氏)僕がこの病気(慢性疲労症候群)を知っていれば、そのことをいの一番に疑っ たのですが、当時はわからなかった。しかも「リフレッシュするためにスポーツやってます、運動やってます」と言っている。後からまゆ子さんに聞くと、実はそのことがまずかったらしいんですけれど...(笑)。

でも当時はわからなかったので、「そのくらいのことができるんだったら、よくわからないけれど、ここは一つ気合を入れてやってもらわないと困るよね」と言っていた。 それが、正直外からの見え方です。そのくらい全然わからなかった

後から聞いて「ああ、そういえばあの時パフォーマンスが落ちていたよね」「落ち方が、著しかったよね」と。なおかつ「疲れている」っていう言葉だけで片付かない... 「しんどいんです」「なんだかうまく作業が運ばなくて...」というところを、もうちょっと理解していたら、詳しく知れたら、それがわからなかったことが、後悔というか、申し訳ない気持ちで一杯なんです。

 

以上が、僕が外から見ていた(診断がつく前の患者の見え方の)正直なところでした。
 


■発症の経緯(職場での状況) つづき


(佐藤)(2007年はしか罹患後、2009年休職するまで、
体調不良が悪化していき) 私自身、病院(近所のクリニック)に行ったり、人間ドッグの際色々質問したりもした。「尿タンパクの数値が少しおかしいが、まあ正常範囲です」と言われた程度。心療内科にも行ったが、「全く問題ない」といわれた。

 

当時キャリア系の仕事をしていて、一応、知識とし ては「うつ病の患者さんでも、そういう症状が出うる」ということを知っていた(ので心療内科に行った)が、その他の疾患の知識はほとんどなかった。 



■休職前に出ていたCFSの症状


後から(特にここ数年)、神経内科や膠原病科などで検査を受け、医師に「はしかの後にどういう症状が出たか」と細かく聞かれ、2007年から続く「転倒・風邪様症状」などが「実はCFSの症状と考えられる」とわかった。そう言われるまでは、働いている時含め、転倒などがCFSの症状だという認識はなかった。

またはしか罹患後、突然高熱を伴う重度の気管支炎にかかったり、重度の風邪様症状が続いたりしたが、単なる過労だと思った。当時仕事でご一緒していたサカタさんは「(外からは)全然わからなかった」とコメントされたが、自分自身でも「のちに何年も寝たきりに近い生活になる」とは想像もつかなかった。 

 

そんな中、2008年2月、仲間とスノーボードに行った。スキーは普通にでき、スノーボードも過去3回位は経験があり、初めての時もすぐ自然にターンして降りることができたので、みんなの足を引っ張らない程度に楽しめるだろうと思った。が、まず現地に着いてすぐ風邪をひき熱が出た

さらに、スノーボードに乗っていざ「滑ろう」とすると「左に力をかけたら右に行く、右に力をかけると左に」というような左右の感覚が混乱し、まったくわからなくなり、くるくる回って転倒し尻餅をついてしまった。今思えば、そういうところにすでに神経的症状が出ていたのかなと思う。 



■休職(1ヶ月予定)後、一度も復職できず退職へ

 

2008年には、上司との面談時に「1年以内くらいに辞める方向で検討したい」と相談をするようになった。社内では他にない部署で少人数。後任が見つかりにくいからだ。しかし上司としても「診断名がない」ため「どの程度できるのか」の加減もわからず「辞めろ」とも言えず、すごく判断に困ったと思う

その後2009年1月にスクール事業部の廃止が決まり新部署に異動することになった。その際には社内の産業カウンセラーに相談し、できるだけ簡単な仕事を振ってもらった。にもかかわらず、2009年春、休職直前には「テンプレートのメールを少し加工して送る」というようなごく簡単な作業すらできず部署には多大なるご迷惑をおかけした。何も覚えられない、できない、作業が進まないという状況だった。

2009年6月、何とか前部署の最後の業務(イベント)を終え、パソコンの前で固まって、意識が朦朧としているところを新しい部署の上司に発見され、産業医と面談することになり、休職することとなった。

休職時は、産業医に「心身疲労。燃え尽き症候群としておきますね」と言われ、1ヶ月の休職指示が出た。自分も「1ヶ月、2ヶ月で復職できるだろう、休めば回復するだろう」と思っていた。

ところが実際には、休職後は「1日12時間眠ってしまう」「階段の昇り降りで、なぜかすぐに異常な筋肉痛が発生する」「足がガクガクして階段昇降が難しい」というような状況が続いた。
 

 

当初「燃え尽き症候群」との診断だったため心療内科に通っていた。しかし、あまりに身体症状が辛く、ネットで検索して、症状が合致する「慢性疲労症候群(CFS)」という病名を知り、CFSを診られる病院に転院した。2010年1月、日大板橋病院で「慢性疲労症候群疑い」と診断された。

休職中は、ごくまれな外出時、友人と会っている2時間位は元気でいられるし、数ヶ月に1回なら徒歩移動が少なければ遠出もできた。が、その後数日は消耗し昏昏と眠るのでスケジュールが立てられない。その時点での復職は無理と考え、2010年5月休職期間満了で退職した。 



■休職後2年で、やっと予後(今後の見込み)判明

 

退職当時はまだ、辛うじて徒歩移動もできており、CFSを「重度の疲労状態」と理解していて「もう少し休めば復職できるだろう」と思っていた。パートタイム就労に向け、2010年下旬から準備として、あるスクールに通いはじめた。そのスクールは、階段しかないビルの2階にあった。

しかし階段を昇るだけで足はガクガク異常に血の気が引き頭が全く働かず、翌日以降あまりの具合悪さに1週間寝込む状態が続いた。

さすがに「これは就労は無理なのでは」と思い、1ヶ月でスクールを辞め、2011年4月ちょうど新患受付が再開していた大阪市立大学の疲労外来を受慢性疲労症候群の確定診断を受けた。


 

そこではじめて予後(今後の病状見込み)がわかった。「発症が2007年の麻疹罹患時であるだろうこと」、「発症から4年が経過していることになるので、回復が見込みにくいこと」、を指摘された。「パートタイム就労より、数年の療養」が現実的だと告げられた。また就労可能になるのに、「数年〜十数年を見込む必要」があると言われた。自分が「就労先ではなく、受けられる社会保障を探す」べき状態であるとはじめて認識した。 



■障害者手帳なく、自費で電動車椅子購入

 

その後、病状は緩やかに悪化し続けた

退職後、知人に「大自然の中の涼しい別荘に行けるよ」誘われ、アメリカ旅行に行く。が、乳幼児がかかる「溶連菌性咽頭炎」にかかり、発熱とともに意識朦朧となり、救急搬送されてしまった。

その後も、気圧が低い日などに階段を昇っている途中で、意識がばーっと下がって、意識混濁状態になるなどし、計3度救急搬送された。


 

また、筋力低下が著しく、フライパンを落として腕をいためたことで、線維筋痛症(せんいきんつうしょう)を発症。一時期は頬に風があたるだけで激痛が生じる(アロディニア)状態にまで悪化した。

2012年秋には、徒歩での外出が非常に困難になり、自費での電動車椅子購入を決意した。 



■治療法未解明ー対症療法で症状軽快を

 

みなさまにぜひ知っていただきたいのが、「慢性疲労症候群」という病気は、(体力・体調が)少しの間は持つのだけれど、「労作(ろうさ ※何らかの活動)」の後に、寝込んでしまうことがあるということ。ものすごく「消耗」する病気。

現在「治療方法」はないが、私は昨年から下記2つの対処で、極度の体力消耗は少し防げている。
筋肉を使うことを、徹底的に避けること(最低限の筋力が落ちないための動作は別途行う)
還元型コエンザイムQ10(カネカ社)を1日1錠 (100mg)→1日3錠(300mg)に増量し摂取する


 

蕁麻疹などの炎症様症状に対しては、下記の対処で症状軽減が見られた。炎症様症状を抑えることで、消耗感等の全体症状悪化も少し抑えられる
プレドニゾロン(ステロイド)の低容量服用(1日 2mg)

(2016年1月、下記2点追加)
セチリジン塩酸塩錠10mg「YD」(1日1錠)
プロテカジン錠10(1日1錠)
温熱負荷を避ける(入浴頻度を下げる、日光を あびないようにする、湯たんぽ使用をやめる)
※温熱蕁麻疹/コリン性蕁麻疹の疑いあり



最後にお伝えしたいこと

 

まだ、「慢性疲労症候群」という病気の病態は、はっきり解明されていない。しかし、上記のように、それぞれの患者さんの「症状」に着目することで、多少だが、打つ手がなくはない

症状を抑えることによって多少体調、生活状況が改善する場合がある。一部の患者さんでは、コエンザイムQ10が効くこともわかっているし、漢方、ステロイド、SSRIなどが効くという方もいる。ぜひ、その方の症状にあった薬をきちんと見極めて対処してほしい。間違っても「気のせい」「心の問題」「詐病」で片付けないでほしい。 


 

今後国内外での研究が進み、治療可能な状態になるのが望ましい。しかし、まず現状でわかっている疾患情報が広く知られ、うつ病や極度の慢性疲労を疑った時には「鑑別候補」として、慢性疲労症候群の名前が頭に浮かぶようになることで早期発見、重症化抑制につながってほしいと思う。



※参考資料:発症後の体調推移、現在の症状・生活状況

■発症後の体調推移

2007年のはしか罹患後(のちに判明した、CFS発症のきっかけと思われる出来事)、一時期は少し、体調が回復しかけた時期もあった。

2007年以降、月数回~数ヶ月に1回、これまでにはかかったことのない、重度の気管支炎や、風邪と思われる発熱(それまでは、小学校低学年の頃以降、風邪等で38°C以上の熱が出た記憶がない)、ヘルペス・じんましん様発疹などが頻発。

大きな症状(気管支炎、38°C以上の発熱等)のたび、体調が悪化していった。

※発症前の活動量を100とした。数値はあくまでも目安。


■現在の症状・生活状況(日常生活活動(動作)ADLの項目別)

主に労作後に強くなる、慢性的な風邪様症状(喉など粘膜の炎症感、微熱)、筋力低下、バランス感覚低 下、自律神経失調症状などで、家事・就労は困難。日常生活も、外出、入浴、家事に介助が必要2009年の休職以降、2014年までは、活動量は低下し続けていた。還元型コエンザイム、プレドニゾロン服用などで、2014年あたりからは外出可能な日は多少増えた。

※日常生活活動(動作)ADLの項目別、2015年現在の生活状況